猫と人。繋がるものがたり ネコット

フォトグラファー 2023.07.10 原発被災地から来た老三毛猫「晴」との別れ 毎日が特別な日

2011年3月に起こった東日本大震災と原子力発電所の事故は、ペットとして暮らしていた犬猫たちにも被害をもたらしました。
私は11年半、原発事故の被害地域のひとつ福島県飯舘村に通い、犬猫の撮影を続けているカメラマンです。

当初飯舘村には、犬猫あわせて600~700頭が残されたと言われています。
6年の避難期間、避難先から通う飼い主と県外からのボランティが犬猫の命綱でした。

原発事故から12年経った今、飯舘村には人の営みが戻っています。
しかし、人口は震災前の1/4ほどしか回復せず、元の姿には程遠いままです。
保護されたり亡くなったりして、犬猫の数は20頭を下回るまで減っています。

この間に私は数百頭の犬猫と出会い、数多の命の物語を目にしてきました。
その中でも、最も印象深く最も愛着を感じた猫が「晴」です。

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2022年7月2日。「晴」が息を引き取りました。
昨年12月に飯舘村から我が家に迎えたばかりでした。

当たり前に思える1日1日は宝物。
いつもいつも今を大切にしてください。

晴のいた毎日が特別な日

我が家に来てたった半年余り、病気と向き合いながらも晴は家族の絆を深めてくれました。

遠く離れて暮らす晴を訪ねたこと
私の想いが伝わったと感じられたこと
晴が私を選んでくれたと思えたこと
探るように少しずつ私への信頼を育ててくれたこと 一喜一憂を重ねて、晴は私の特別な存在になっていました。

どの時間も一度だけ
戻ることのない時間たち
晴のいた毎日が特別でした。

8年の野良猫ぐらし。厚い雲に隠れた元飼い猫の心

2019年12月12日 出会ってしばらく、ミケは望遠レンズでしか撮れない猫だった。

晴が生きた証を残したくて、私は彼女を綴ります

晴は、原発被災地の福島県飯舘村から我が家に来た、元飼い猫。
故郷での名前は「ミケ」。
解体されたミケの生家の数軒隣の餌場で、私は彼女と出会いました。
野良猫のように暮らして8年、当時のミケは警戒心の塊でした。
彼女の過去を知るまで、彼女が人と暮らしていたとは思いもしませんでした。

ある時、私はミケの姿を動画に収めようと、カメラを置いたまま餌場を立ち去りました。
ご飯を食べに出てきたうれしそうなミケ。
彼女から漏れ出す感情に、私の心は揺さぶられました。
ただご飯が食べられればいいの?
ただ生きていればいいの?

300km離れたミケに2年間の片思い

それから、私は毎週2日ミケを訪ねました。
遠ざかって行く彼女の背中に声を掛けました。
草むらに潜む彼女に話しかけ、名前を何度も呼びました。

半年ほど経つと、ミケは毎回姿を見せるように。
更に数ヶ月、ミケの逃げ足が少し遅くなりました。
常にミケと私の間には、絶対に私の手が届かない空間や障害物がありましたが、 ミケの心の変化を私は感じていました。

2020年12月10日 ミケと仲良くなる作戦をはじめて1年近く経った頃。望遠レンズがなくても撮れる距離までミケと私の距離は縮まった。

ミケに声をかけ始めて1年ほど経った頃、私の手が届く距離までミケに近づけました。 1度だけ私の指先が彼女の頭に触れました。

しかし、ミケは再び手の届かない猫になりました。
私にはミケの心境がわかりませんでした。
やむを得ない事情はあったかもしれません。
でも、人間は一度ミケを裏切っています。
ミケの信頼を得るのは簡単なはずはありません。

私はミケを訪ね続けました。
時間をかけて少しずつ少しずつ、ミケは私の気持ちを探っているかのように見えました。
でも、ミケの心の雲間から漏れ出す光が強くなるのを私は感じていました。
誰にも頼れず閉じこもっていた頃の自分に、私はミケを重ねていたのかもしれません。
たったひとりでも寄り添ってくれる人がいるなら、世界は変わります。

2021年10月14日 私の手がミケに届きそうな距離まで近づいた。当初より緩んだ表情に、ミケの心の変化を感じられた。

更に1年の時が流れました。
彼女はご飯を用意する私の側まで来るようになりました。
彼女は私の手からおやつを食べるようにもなりました。 長い時間がかかりましたが、私の想いはミケに伝わりました。

ミケへの片思いは、私が毎週片道300kmを往復する大きな動機のひとつでした。

何かが起こる前に、ミケを家族にできていたらと悔やんでいます。
しかし、コロナ禍で自分の足元が揺らぎ、福島訪問を続けるだけで精一杯でした。

3.11から11度目の冬を迎える頃、ミケは酷い風邪をひきました。
真冬は連夜氷点下5度を下回ります。歳を重ねたミケにはあまりに厳しい季節。
私はミケを家に連れて行くと決めました。

捕獲器に見向きもしないミケの保護に時間がかかりました。
クリスマスの1週間前にやっと、ミケは私の元へ来てくれました。
私が置いたケージの中へ自ら歩みを進め、普段どおりおやつを食べるミケの姿を見て、
ミケが私を選んでくれたと感じました。

曇りのち晴れ 10年ぶりの飼い猫ぐらし

2022年3月29日 前列左から3番目が晴。

彼女の新しい名前は、晴(はる)。
これからは、心晴れやかに暮らしてほしいと願いを込めました。

我が家に来てすぐ、晴は私の掌に頭をあずけてくれました。
場所が変わっても、晴は私をわかっていました。
晴と家族になれて、私はうれしくてたまりませんでした。

晴の体調は回復していきました。
しかし、晴に穏やかな時間が訪れると思った矢先、彼女の鼻が腫れてきました。
症例が少なく治療方法がわからない珍しい病気の疑い。

病が進行しないよう願いながらの日々。
晴は病気を感じさせない日々もありました。

不安を抱きながらも、新しい暮らしを気に入ってくれた晴の姿に、私は目を細めていました。

晴は撫でられ好きになりました。
晴は猫団子の一員になりました。
晴はご飯待ちの最前列に顔を出すようになりました。
晴は抱っこさせてくれるようになりました。
毎日、晴の心が発する光を感じて私は幸せでした。

晴との別れ

2022年3月29日 晴の柔らかな表情。歳を重ねているけど家猫初心者の晴。新しいことを日々覚える彼女は幼い猫のようでした。

何年も何年もそのままの時間が流れて欲しかった。
もっともっと晴と暮らしたかった。
しかし、私の願いは届きませんでした。

晴の体調が悪化し、緊急入院。
酷い貧血と低血糖、命にかかわる状態。

晴と同時期に家に迎えた「ハク」の力を借りて、輸血。
一旦最悪の状態を抜け出したものの、再び悪化。
晴が病気を打ち負かす方法が手詰まりとなってしまいました。

私は晴を我が家に連れ帰りました。
ここには仲間がいます。
みんな晴の家族です。

声をかけ触れるほか、私が晴にできることはありませんでした。

翌朝、仕事に出かける前に横たわる晴の頭をなでました。
晴は私の掌に頭をあずけてくれました。
晴が生きようとする限り、いつも通り晴に寄り添おう。
沈みきった私の心に、晴は光を灯してくれました。

しかし、私の帰りを待たずに晴は旅立ちました。

心に穴が開く、その意味を知りました。
記憶の中の晴に微笑みかけると、涙があふれます。

晴に膝に乗ってもらいたかった
晴と一緒に眠りたかった

晴ちゃん
あなたが家族になってくれて、私は幸せでした。
はじめて私の足元に体を寄せたあなたは遠慮がちでしたね。
あの時のあなたの子供みたいな目を私は忘れません。
ご飯待ちの最前列に顔を見せたあなたも、
布団でみんなと猫団子になっていたあなたも、
私は覚えています。
同じ屋根の下にあなたがいるだけで、私がどれだけ心穏やかにいられたか知っていますか。
もっと一緒にいたかった。
でも、もうがんばれとは言えません。
あなたと出会えて、私はうれしかったです。 晴ちゃん、ありがとう。

時間は巻き戻せません。
だから、私は今を大切にしたい。
あなたも、当たり前に思える今を大切にしてください。

執筆:上村雄高/写真:上村雄高

上村雄高

フォトグラファー。「犬も猫も家族」をテーマに撮影。
イヌとネコとヒトの写真館(東京・国立市)https://nekotoru.com/121/ を運営。
2012年より福島県の原発被災地で犬猫の撮影を続け、現地訪問は250回を超える。
写真展「Call my name 原発被災地の犬猫たち」は、国内のほか台湾と中国でも開催。
2023年、中国で著書「呼唤我的名字(Call my name)」を出版。
16匹の猫と暮らしている。
https://callmyname.net/

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