ライター 2023.07.18 ボクはオス猫に恋をする
夕暮れ時のスタバにて
「猫ってさ、人間の言葉がわかると思うんだよね」
久しぶりに会った健斗が、ふと猫の話を始めた。モデルのような出で立ちで、いつも爽やかな笑顔の健斗はモテないはずがない。それでも独り身を貫いていて、どこかミステリアスに感じていたのだった。
猫と暮らしているのは知っていたけれど、そういえば猫のことをちゃんと聞いたことはなかった。
健斗が言う。
「いつかね、猫の絵本を書こうと思ってるんだ」
「絵本?へぇ〜、意外すぎてピンとこないんだけど」
「ある猫が死んだ時にさ、今日を限りに人生が変わると思ったんだ。実際、その日を境に違う時代と人生になったんだよね」
そんな経験をさせてくれたという猫の話に引き込まれてしまった。
多田 文左衛門御手虎 参上
彼(猫)はうちの子ではなかったんだけど、初めて会ったときに俺の目をみて言ったんだ。
「ボク、猫田さん(健斗)家のネコになる」って。
うちの猫には代々、猫田が付くんだけどね。猫田さん家の猫になるって言ってくれたのに、あの時俺は飼ってやれなくてさ、当時付き合っていた彼女が飼うことになったんだ。
もともと俺は、物心ついた時には、おばあちゃんが家に遊びに来る野良猫たちをかわいがっていたから、猫ってたぶん、普通に家族みたいなものだったんだと思う。だから29歳の時にひとり暮らしを始めると、なんとなく猫のいない寂しさを初めて味わったんだ。仕事も忙しかったし、猫を飼いたい気持ちはあっても、現実は生活が優先してしまう、そんな日々だった。
ある日、近所の動物病院で、子猫4匹の飼い主を探しているという張り紙を見てしまい、なんとなく気になって彼女と見に行ったんだよね。4匹の子猫はまだ小さくて、生後2~3週間という感じ。すでに3匹は行き先が決まっていて、オス猫だけが残っていてさ。最後の1匹となると放っておけなくて。でも帰りの遅い俺には、淋しい思いをさせてしまうのがかわいそうで躊躇していたんだ。
すると彼女が「私がこの子のママになる!!」って言ってさ。
彼の本名は〝ちょいぞう〟なんだけど、またの名を、多田 文左衛門御手虎(ただ ぶんざえもんおてとら)といったんだ。彼女の家の猫なので、多田さん家の文左衛門さんは『猫の分際でなかなか生意気』なのだ。御手虎は『お手手と尻尾の模様が虎柄』だったところから、彼女と二人でつけたんだ。
この文左衛門、成長するに連れて驚くほど存在感が増してきた。所作が非常に美しく、「猫たるもの こうあるべき」みたいなお手本のような仕草をするんだ。
決して慌てず、騒がず、無駄には鳴かない。
その立ち居振る舞いには、人間の男が惚れ惚れするほどのオーラがあった。夕方になるとご近所へパトロールに出かけ、猫界が安全かつ平和を維持しているのか、ヤツは常に気にかけているようだ。
俺がさ、夜の遅い時間に彼女に会いに行くと、必ず文左衛門が出迎えるんだよ。門番みたいなヤツでもあったな。
「いらっしゃい。よく来たね。まぁお上がりなさいよ」
そう文左衛門に言われてから靴を脱ぐんだよ。文左衛門はいつも俺の膝の中にいて、俺の心の声を聞いていた。彼女と幸せを噛み締めていた時は毎日がキラキラと輝いていて、文左衛門と俺と彼女の3人の関係はともかく楽しくて良好だった。女心が難しいなと思う時は気にしないよう相手をしてくれたし、今日はちゃんと二人で話しなさいよという時には、スッといなくなった。
なんて気の利くヤツだ。
一緒にいる時間が増えると、彼との会話の時間も増えた。彼はいわゆるツンデレだが、本心はどう思っているのかが気になった。
そしてある時気づいたんだ。
文左衛門は俺が持っていないものを持っていると。そもそも人間の悩みなんてちっぽけでチンケなものだと思っているし、こっちが真剣に相談しているのに、「それがどうした」という視線を送りつけてくる。人生はなるようにしかならないし、なるようになるんだよと言っているような気がする。
出会いがあれば、別れがあって、生きとし生けるものはいつかこの世を去る時が来る。実はこの時の彼女とは縁がなく、3年ほどで別れてしまうんだけれど、文左衛門には、時折会いに出かけていた。
やはり師と仰いでいたし、彼と心を通わせる時こそが俺には至福の時間だった。自分の悩みはちっぽけだと感じさせてくれ、さっさと切り替えなさいというメッセージを受け取ることができた。
そんな僕らの関係を別れた彼女も認めてくれていた。だから、文左衛門の様子がおかしいという連絡も真っ先に入った。
仕事を終えて、取るものも取り敢えずすっ飛んでいったが、間に合わなかった。玄関で彼女に抱かれた文左衛門を見て、人目もはばからず泣いたなぁ。涙が止まらなかった。
「今日を限りに人生が変わる。一つの時代が終わった」
俺はこの時にそう思ったんだ。そのくらい大きなことだった。失ってみて初めて心の支えになってくれていたことを思い知ったんだよ。
文左衛門がいなくなってから数ヶ月、魂が抜けたように力が入らなくなっていた。猫が亡くなったくらいでこんなことになる自分に正直驚いてもいた。彼女との失恋よりも遥かに喪失感が大きくて、自分でもおかしくなったんじゃないかと思ったりもした。人間てやつはあまりにもデリケートで、何によって影響を受けるのかわからないものだと思った。
猫によってキラキラと輝くことがあって、共にそこを生きてきたヤツがいなくなると、もうあの時間は二度とやってはこないことを思い知る。
そして改めて文左衛門の死によって自分の中で意識が変わったのを感じていた。
大人になるってこういうことの繰り返しなんだろうな。
自分が持ってないものを嘆いてもどうしようもないし、自分の性質に向いていないことに時間を割いて努力するのはやめようって決めたんだ。楽しいと思えないことを無理してやることないなって。力の入れ加減と抜き加減を考えるキッカケをもらったんだよ。
そして、自分が生まれ持ったものを愛することが心にも体にもいいのだと教えてもらった気がするよ。
新しい出会い
俺は再び猫が恋しい生活をしていた。でも敢えて自分から探すことはしなかった。文左衛門と同じ猫にはもう会えないだろうし。
それが・・・翌年の夏、台風が直撃した日のこと。
台風の目の中に入り、さっきまでの暴風雨が嘘のように静まり返っていた。俺は無性にハンバーガーが食べたくなって、「今だ」と自転車で近所のマクドナルドまで買いに出かけたんだ。
買い物をして自転車に戻ると、そこの垣根から子猫の鳴き声がするんだよ。声の主はすぐにみつかった。捨て猫のようで、1匹だけしかいなかった。俺は迷わずシャツのボタンを外し、子猫をシャツの中に入れると家路を急いだ。
〝猫田ニパ吉〟と名付けられたその猫はやっぱりオス猫だった。
どうもオス猫に縁がある。ニパ吉はヤンチャで、ともかく元気いっぱい、すぐに俺に懐いていつも離れなかった。仕事して帰れば、ニパ吉がおかえりといつも出迎えてくれた。俺は料理を作るのが好きで、疲れて帰ってもキッチンに立っちゃうんだけど、おいしいものとワインと、ニパ吉がいれば、とりあえずは満ち足りた毎日でさ。
「人間と猫ってなんの不思議もなく会話しているんだよ。自分のテリトリーの中にはいつも猫がいて、それが当たり前の光景なんだ」
人間に大きな影響を与えるのは人間だけとは限らない。また心を開く相手も人間だけとは限らない。少なくとも猫の使命は人間を幸せにすることなのだと文左衛門に教えてもらった。
その文左衛門との不思議なやりとりを、残しておきたいって思ったんだ。
だから僕が絵本を書くときのタイトルだけは決めてある。
「ボクはオス猫に恋をする」
健斗とのささやかな時間は、ちょっといい話を聞けた夜だった。
夜風は心地いいし、向こうのビルの間からは満月が見えていた。なぜ健斗がひとりでいるのか、わかるような気がした。
健斗のテリトリーに素敵な女性が登場する日が来るとしたら、それはメス猫ではないことを願った夜でもあった。
執筆:MIE 写真:MIE
MIE
山梨県生まれ。 一部上場製薬会社勤務後、20代の時に欧州12カ国をバックパッカーで旅をする。
帰国後は東京都八王子市にて巷の花屋『多摩花賣所』をオープン。新宿、町田、立川、八王子で花教室を主宰。 雑誌「FLOWER SHOP」「植物デザイン」, フリーペーパー「paseo」などにコラムを連載する。 花と植物と猫のいる暮らしから、幸せと癒しを届けます。