猫と人。繋がるものがたり ネコット

フリーランス 2023.08.19 九十九里の猫たち

 爽やかな5月の朝、ミカンは朝陽が当たる窓べから、庭のスズメを首を長くして眺めている。
そのそばで、ザボンは横になりながらもちらちらとミカンの様子をうかがっているみたいだわ。
ミカンは猫、ザボンは犬なのに仲が良い。

この2匹の出会いは、今日のような爽やかな朝だった。
もう3年になるかな・・・

その日は夫がザボンを連れて朝の散歩に出かけていました。
私たちが住んでいるのは九十九里浜に近い海沿いの町です。
朝の海は陽に照らされて、キラキラと、それは美しい景色なのです。
季節の変わり目の海は潮の関係でさらに輝きを増すのでしょうか?
それとも、次にやってくる季節の期待が、海をさらに美しく見せてしまうからなのでしょうか

6時と言えばサーファの姿が波の上に、動くカラフルな人形のようにいくつも見えます。
毎朝、ザボンと一緒にこの見慣れた浜辺を歩くのが夫のルーティンになっています。


夫はアーティストで自分のアトリエで作業を続ける日々です。黙々と制作しています。
私は音楽セラピスト。結婚して10年。大きな問題もなく・・・
心を動かす大層な事件もなく・・・こんなものかな・・なんて思っていました。

そんな私たちでしたが、これからお話しする猫たちの出会いと別れによって、改めて〝出会い〟とか〝別れ〟とか、〝生きる〟とか・・・そんなあたりまえの大切なことに気づいていく事になるのです。

出会い

あの日、ザボンがいきなり走り出したと夫は言うのです。
「おい、ザボン! どうしたっ!」と叫ぶ夫にかまうことなく、先に見える黒い小さな塊に向かって一直線に走り始めたザボン。
そして、クンクンと匂いを嗅いでいるような姿を見せると、いきなりそれを咥えて、夫の元に戻ってきたのです。
なんと、小さな赤ちゃんの猫でした。
息をやっとしているような、まさに瀕死の状態。けがをしているようで身体には血も着いています。
ザボンは連れて帰る気満々の様子を見せるので、夫は仕方なく連れて帰ることにしました。
それが私たち夫婦とザボンとミカン(その猫につけた名前)の出会いでした。

そもそもザボンも近所の公園で出会った犬でした。
3月のまだ寒い雨の降る日に、寒そうにこちらを見るザボンをほっておけなくて、連れて帰ってきた犬だったのです。
それも夫の仕業。それに反対することもできず、いつのまにか家族の一員になっていたのです。
不思議なことですが、ミカンを咥えて帰ってきた後、1か月も経たないある日、ザボンはまた1匹の猫を咥えて帰って来たのです。

なんだか保護猫活動をしているようなザボンでした。
その子も傷だらけの猫でした。
その子はキンカンと名付けました。

ザボンとミカンとキンカンと、私たちの新しい暮らしが始まりました。

 ザボンはお母さんのように、ミカンとキンカンを抱きしめながら育てていました。
なんとお乳が出たのには、私たちもびっくりでした。そんなことがあるのだろうかって。

猫たちを見るザボンの目はお母さんそのものです

キンカンはその後、お隣のお家にもらわれていきました。優しいファミリーでしたので安心しておまかせすることができました。

猫の不思議なチカラ

ミカンは不思議なチカラを持っている猫のように見えました。
夫が足を怪我した時も、数日前から足にやたらとまとわりついていたのです。まさに夫がけがをすることを知っていたかのように。
けがをした日からも、治る日までずっと彼の足元に座っていました。
それに、毎日窓辺にやってくる外猫ちゃんと話をするのです。
じゃれ合う事もなく、何やら話しています。
いつのまにやら、その子も我が家の一員になり、ゆずと名付けました。
二匹はいつも仲良く窓辺にすわり、庭を眺めています。
私たちには子供がいなかったので、この子たちがいつの間にか生活の中心になっていることを感じていました。
2人の生活が、いつの間にか優しい空気に包まれる生活になってきました。
気が付くと猫の話しかける言葉は、はたから見ると笑っちゃうくらい優しいのです。
夫の優しい言葉、私の気遣う言葉は全て猫に向けられているのですが、家庭の中をとても心地よい空気にしていることに気が付きました。
猫の存在がこんなにも私たちを変えるのかと驚いています。
そんな幸せな猫生活にも悲しいお別れはあるものです。

ミカンの体調が何日かよくないようでした。明日は病院に連れて行こうと思っていた矢先でした。
ふと気が付くと、ミカンが私の事をずっと見ていたのです。声をかけようとすると、すぅと床下に入って行ったのです。魔法に賭けられたようでした。
それきり姿が見えなくなってしまいました。


私たちは、気が狂うほど声が枯れるほど探しました。選挙事務所にあった拡声器を借りてまで探し回りました。
でもいない!
あきらめるしかないのか・・・?

1か月経ったころ、絶望感と喪失感に駆られていたら、ゆずまでがいなくなったのです。
私たちは直感しました。
「ゆずはミカンを探しに行ったのだ」と。
私たちはもう神棚の神様に手を合わすしかありませんでした。

「どうぞ ミカンが無事でいますように。ゆずが私たちのところに帰ってきてくれますように」と。

そして、ゆずが戻ってきてくれたのは20日後でした。げっそりやせ細り・・・
一生懸命探してくれたのでしょうね。涙があふれてきました。

ゆずも木の上から探していたのです

この子だって寂しいのだ。猫なりに探しまわってくれたのです。
この子のためにも、ミカンの分まで可愛がってあげなきゃと。

ザボンとミカン、キンカン、ゆず、それぞれが私たち夫婦に命の大切さ、生があり死があり別れがあること。それがどんなに悲しいことなのか、そしてそれぞれの動物が相手を愛おしく思う気持ちがあることを教えてくれました。

このお話しは実際に体験された方の取材をもとに書いたエッセイです。

取材:志村三枝/執筆:土屋和子/写真:志村三枝

MIE

山梨県生まれ。 一部上場製薬会社勤務後、20代の時に欧州12カ国をバックパッカーで旅をする。 

帰国後は東京都八王子市にて巷の花屋『多摩花賣所』をオープン。新宿、町田、立川、八王子で花教室を主宰。 雑誌「FLOWER SHOP」「植物デザイン」, フリーペーパー「paseo」などにコラムを連載する。 花と植物と猫のいる暮らしから、幸せと癒しを届けます。

土屋和子

「猫と人。繋がる物語」編集長。元月刊パリッシュ代表&編集長。62歳までは経営者。その後はフリーランスとして現在は事業プロデユース・執筆・プロモーション制作(パンフレット・HP)等を手掛ける。フリーランスの仲間たちを繋ぐサイト「ツキヒヨリ」https://tuki-hiyori.com/を運営。

都心で黒猫シャロンと暮らしている。

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