猫と人。繋がるものがたり ネコット

和菓子店主 2023.09.07 前世〝猫〟である私の任務

一番身近なパパ(夫)にも「お前は猫っぽいよなぁ」ってよくいわれる。
自分も猫とは会話できると思っているし、なんていうのかな、猫とは特別通じ合える相性の持ち主だと思っていて、もしかして私は進化して生まれ変わって、猫のために役立つ人間になりなさいと任務を与えられたんじゃないかと思う。

昔ってよく捨て猫がいたじゃない? 神社や浄水場跡や畑とかにも。
子供の頃って、遊んでいると見つけちゃうのよね。そうするともうめちゃくちゃかわいいし、このままじゃ死んじゃうかもって、とてもじゃないけど放ってはおけない。
だから、飼い主探しをするのが親友さっちゃんとのいつものミッションだったよね。

段ボール箱に入れて「誰かもらってくれませんか〜?」って、
夜遅くまで、ダイエーや神社のところで声を出して、飼い主さんを探してた。
運良く見つかる時もあるけれど、なかなか見つからない時もあって。
そんな時は「助けてあげてください!」って、さっちゃんとチラシを作っては配り歩いてた。
ピンポンして一軒ずつ回ったり、商店街をまわったり。
今思えば子供だったからできたんだと思う。
本気で猫を助けたいという思いで純粋に真剣でした。

また田舎のおじちゃん、おばちゃんも「どうした?」「どこで拾ってきた?」って、なんだかんだ話を聞いてくれて、あちこち電話かけてくれたこともあったし、助けてくれたんだよね。
それって結構昔のことなのに今もよく覚えていて、私がこの町を好きなのはそんな経験があったからかもしれないなぁ。
今もそれは感謝しかない。

ポンタとの出会い

ある時、浄水場跡地で5匹の捨て猫を拾ってしまった。
いつものように神社で声掛けをして、ダイエーでも声掛けをして。
暗くなってしまって、もう帰らないと叱られる時間。
4匹はなんとか貰ってもらえたけど、1匹だけ残ってしまった。

よく猫を拾ってきては、ダメ元で家に連れて帰って叱られていた私。
当然、この日も重い気持ちを引きずりながら、両親が経営する和菓子屋に連れて帰った。
ともかく親に説明をして、
「一晩だけ。一晩だけこの子を預からせて」
とお願いをした。
それからというもの、毎日飼い主を一生懸命探すけれど、そういう時に限ってなかなか見つからない。
最後の一匹ってなぜか難しい。
子供心に一晩という約束を破っていることがプレッシャーになって、だんだんと家には帰りづらいわけ。

「ごめんなさい、今日もみつかりませんでした。あともう一日だけ、どうかチャンスをください」って半べそで頭を下げた。

「そうか。今日も見つからなかったか。仕方ないね。ならうちの子にしようか」
え?今なんて?耳を疑った。父と母にそう言ってもらった時のうれしさったらなかった。
兄しかいない私には、妹か弟ができた!!って思って、飛び上がって喜んだのは忘れられない。
目もまだ開かない、小さな手のひらサイズの子猫ちゃん。
小さくって、か細く泣いていて、栄養失調でお腹がポンポコリンだったので「ポンタ」と命名したけど、おっきくなったら女の子でした。

ポンタと16

結局ポンタは「一晩だけ」から、なんと16年も店にいました。
とても品のいい、それは綺麗な猫でした。
結局は拾った私のことより、面倒を見てくれる母のことが大好きな猫ちゃんでした。

母のお財布の中に今もいるポンタ

ポンタは一度だけ、さかりがついて行方不明になったことがあってね。
何日も帰って来なくて、事故にでも遭ったんじゃないかと心配するし、母はショックで寝込むし。
電柱に張り紙をして、毎日家族で手分けをして探したんだよね。
でもある日突然ふらっと戻ってきて、しかも妊娠しててね。お産はしたけれど、一匹は死産だった。もう1匹の子猫は、それはそれは小さな赤ちゃんでね。
あの時のポンタは母親の顔をしていて、とても悲しそうだったなぁ。

思い出といえば、もう一つ。うちの父が60歳で旅行先で急死した時のこと。
ポンタはいつも父が焼くせんべい機の上から動かず離れなかった。
わかってるいんだねって、家族みんなで話していた。
父は人一倍優しかったから、ポンタもさみしかったのだろうね。

それからしばらく経って、ポンタは癌で亡くなった。
リンパに癌ができて、手術でリンパをとったんだけど、結局ダメだった。
術後におしっこがなかなかでなくって、困りに困ったとき、私が病院に面会に行って
「ポンタ、おしっこしてごらん。大丈夫だから」
って声をかけたら、目の前で『しゃーっ』とおしっこしてくれたんだよね。
先生と「よかったー」ってハイタッチなんかしちゃって。
ひとまずホッとしたことがあったっけ。
数日後、たまたま私が実家に帰った日に、もう動けずガリガリに痩せたポンタが朝方鳴いていた。私を起こすかのように。
ポンタはいつもお風呂場で水を飲むのが大好きだったから、細いポンタを抱いてお風呂場に連れて行ってあげたら、一口二口飲んでくれてね。
そうしたら足拭きマットの上に両足を揃えてきちんと座ってびっくりした。
「ポンタ起きれるの?」
そして私を見つめて
「ニャー」
とひと声鳴いてくれた。
あれは多分、「拾ってくれてありがとう」って言ったんだと思う。
もう横たわるしかできなかったのに、ポンタなりの精一杯の渾身のありがとうだった。

そして翌日、私と兄と母が見守る中、大好きな母のベッドの上で静かに息を引き取った。
母は毎晩、ポンタを腕枕して寝ていたから、喪失感が半端なく、亡くなって16年も経つのに、いまだにポンタと同じサイズのテディベアを腕枕して寝ている。

ちょっと前に「猫と、とうさん」という、コロナ禍の2020年を愛猫と共に乗り越えた9人の男性のドキュメンタリー映画を観た。
この映画の中で、ニューヨーク、ブルックリンに増える野良猫たちの未来を見据えて、これ以上増やさない保護猫活動をするウィル。
猫救いしている人間は猫が進化して人間になっているに違いないと、あのウィルを見て確信した。
ウィルも前世は猫だったんだろうなって、同じ人間を見つけられたことがうれしくて仕方ないのである。

取材執筆:MIE/写真提供:植松弘子さん

インタビューイー:山下裕子さんは山梨県上野原市在住。老舗和菓子店「植松菓子舗」に生まれる。歯科医の夫と8歳5歳の男の子のママ。
そんな訳で、前世は「猫」

MIE

山梨県生まれ。1993年より東京都八王子市にて巷の花屋『多摩花賣所』を23年間経営。雑誌などにコラムを連載する。現在は花教室を主宰する傍ら、花と植物と猫のいる暮らしから、幸せと癒しを届けます。

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