猫と人。繋がるものがたり ネコット

主婦 2023.09.19 きれいな花が、降りますように。

タビというツンデレ猫

亡くなった人を思い出すと、天国のその人のまわりに花が降る。
そんな話を聞いたことがあります。
今は遠い場所にいってしまった親しい友人、かけがえのない家族。
そういう存在は、人間だけとは限りません。
大阪に住む聖子さんにとって、飼い猫「タビ」がそうでした。
タビがこの世を去ってもうすぐ8年になるけれど、
今もタビと過ごした日々を忘れることはないのです。
靴下を履いているみたいに足先が白い、タビ。
なかなか心を開かないツンツンな、タビ。
心を許した人にだけ、身体を寄せて撫でてもらうデレデレな、タビ。
お皿の水は決して飲まず、鳴き声を合図に水道の蛇口から水を出してもらう、タビ。

低めの「にゃあ」のときも、高めの「ミャー」のときも、
聖子さんにはタビの言いたいことがすべてわかりました。
最期は腎臓を悪くし、少しずつ衰えていくタビに、聖子さんは寄り添い続けました。
一匹の猫の人生。
それは人間の人生と同じくらい、
喜びも、そして悲しみもありました。

タビと私

冬の北海道、網走。
雪の降るなか、とある高校の校門前に、生後1ヶ月ほどの子猫たちが置き去りにされていました。
放っておいては寒さで凍え死んでしまいます。
職員や生徒たちは手分けして引き取り手を探しました。
教師だった私の姉も、そのうちの一匹を連れて帰ることにしました。
それがタビです。
日中に誰もいない一人暮らしの職員寮よりは、と姉は故郷の母に相談し、兵庫の実家で引き取ることになりました。
兵庫に来たものの、環境の変化のせいか、タビはなかなか人間に懐きません。
けれど私とは、不思議と心を通わせて、ずいぶん仲良くなりました。
タビが心を通わせた最初の存在に、私はなりました。

先生とタビ

1年ほど経った頃、母が習っていたお琴の先生から、
「ぜひタビちゃんを引き取らせて欲しい」という申し出がありました。
先生は大の猫好きで、過去に何匹もの猫と暮らしていました。
おそらく猫とのお別れを何度か繰り返したのでしょう。
そのときは猫がいない生活で、とても寂しがっておられたようでした。
そこで家族と相談し、先生にタビを引き取ってもらうことになりました。
じつは実家には先住猫がいて、タビとは折り合いがあまり良くなかったのも理由でした。
だけど、簡単に人間を信用しないタビ。
はじめは、先生にも噛みついたり引っ掻いたりして、たくさん傷をつけました。
それでも先生は嫌がらず、タビをかわいがります。
そうしてしばらく経つと、タビは心の底から先生を信用し、甘えるようになっていきました。
先生はタビが心を開いた二人目の存在でした。
先生の家の猫になった後も、先生の留守中にはタビを私の家で預かることにしていたので、私とタビは変わらず仲良く過ごしていました。

タビがふたつの家を行き来する生活が5年ほど経ったある日のことです。
お琴の発表会当日でした。
先生は着物姿で突然倒れて、そのまま帰らぬ人になりました。
交流のあった写真館のご主人が、先生が亡くなったことを聞き、
「先生の猫はどうなった」と、タビを心配して安否確認をしてくださったそうです。
それもあって、家に残されていたタビは無事に保護され、その引き取り先として私のもとに戻ってきたのでした。
お琴の先生は毎年写真館でタビとの記念写真を撮っていました。
先生とタビの絆が写し出された写真は、今も写真館に飾られています。

夫とタビ

そうして、また一緒に暮らし始めたタビと私。
私が結婚して家を出ることになって、タビも一緒に連れて行くことになりました。
私の夫もかなりの猫好きで、タビと暮らせることを楽しみにしていました。
「大丈夫、すぐに仲良くなれるよ」と、彼は自信たっぷり。
けれど気難しいタビに、なかなか触らせてももらえません。
タビの気を引くために、一生懸命気に入りそうなおもちゃやごはんをあげてみます。
少しずつ、本当に少しずつ、半年もかかってやっと、タビが触らせてくれるようになりました。
夫は努力して、タビが安心できる存在になっていきました。
そのころは家中がタビの遊び場で、のびのびと過ごす日々でした。

ある日、私たち夫婦に赤ちゃんが生まれました。
男の子です。
けれど、息子はタビが近くにいるだけでくしゃみや鼻水の症状が出ました。
動物アレルギーです。
そして悪いことに、出産がきっかけで私にも同じ症状が出るようになりました。
タビに触るだけで目がどうしようもなく痒くなります。
大好きなタビに触れたいのに、症状が出て触ってあげられない。
大好きなタビを自由に遊ばせたいけれど、息子にアレルギー症状が出ないようタビの行動範囲を制限しなければならない。
さらにつらいことが起こります。
タビの食事が進まなくなりました。
食べても吐き戻すようになりました。
タビは腎臓の病気に侵され、毛並みの艶も徐々に失われていきました。
タビのために、できるだけのことをしました。
子育てをしながら。仕事をしながら。
痒い目をこすりながら、毎週毎週、病院へ連れていきました。
だけど、タビは少しずつ衰えていきました。
タビを実家に帰すことも考えましたが、
タビのことを思うと、自分がそばにいてあげる方がいい気がしました。
そうして、タビの闘病生活は2年続き、
ある日タビは、目を閉じたままになりました。

18年の生涯でした。
タビを失った悲しみとともに、後悔があります。
子育て、仕事、家事、そしてタビの看護。
多くを抱えていました。
精一杯やった。
そのはずなのに、もっと、もっと、タビにしてあげられることが、あったんじゃないか。
そんな気持ちが、拭えないのです。

タビと息子

タビが亡くなったとき1歳だった息子は成長し、現在10歳になりました。
タビを動物病院へ連れて行っていたあの頃、待合室で小さな男の子が猫を抱いているのを見ては、「タビと息子を遊ばせてあげられたら」と、切なく思っていました。
タビと息子が触れ合った時間は、あまりにも少ない。
けれど、タビとの記憶はほとんどないはずの息子が、ときどき不思議とタビのことを話します。
「タビはね、ぼくの猫だよ。お空の上から、見守ってくれてるねん」。
そうして涙ぐむ彼を抱きしめながら、私はタビのことを想います。
もしアレルギーも病気もなければ、タビと息子はどんな関係を築いていたでしょう。
タビは気まぐれに、息子の相手をしてくれていたかもしれません。
息子がタビのために、蛇口から水を出してあげることもあったでしょう。
身体を寄せ合って眠るくらい仲良くなっていたかもな。
そんなことを想像してみます。

私の猫。先生の猫。夫の猫。そして息子の猫。
代わりは、いません。
タビは、この先もずっと、かけがえのない存在です。

聖子さんの想いが、
きっと、今日も、タビのまわりにきれいな花を降らせている。
そんなふうに思うのです。

取材・執筆/ささきりょーこ/写真提供/笹間聖子

1989年、神奈川県横浜市生まれ。
経理・総務などのバックオフィスを経て、
現在は、広告制作会社のプロデューサー
とフリーライターでキャリアをパラレルに展開中。
持ち前のフットワークの軽さとコミュ力で
気になった人を初対面でも飲みに誘う。
家系的猫好き。好きな猫種はロシアンブルー。
好きな児童書は『黒ねこサンゴロウ』シリーズ。

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