猫と人。繋がるものがたり ネコット

イラストレーター 2023.06.10 スペインの猫

三浦さんの写真

今回初めてお会いする三浦裕樹さんとは東京練馬の「えこねこカフェ」で取材させていただきました。
三浦さんの作品に「Cats」というのがあるのですが、私はこの絵を見た瞬間、単なる猫愛好家じゃないなと感じました。
猫が絵の中で生きているのです。この何でもない黒い線で描かれた猫なのに、あたかも何かを訴えているような表現の言葉が見つからない不思議な目力を感じたのです。
この猫の作者に会いたい!と思いました。
そしてそれが実現しました。
この「Cats」に秘められた三浦さんとティシアーナという猫のお話しをたっぷり聞かせていただくことができたのです。それはまるで2人のラブストーリーの映画を観ているような感じがしました。

ティシアーナと出会ったのはスペインのピケール通り

私は20代の後半に絵の勉強のためスペインへ留学していました。
最初はゴヤの絵があるマドリッドに住むのが目的だったのですが、たまたま訪れたバルセロナが気に入ってしまい、住まいをこの街に移したのです。バルセロナは開放的な港町です。
私が住む街はモンジュイック山の麓になるのかな…地方からの労働者などが住む区画で、一般的に言えばダウンタウンに近い雰囲気でしたが、むしろ当時の自分にはとても心地の良い町でした。その街から少し外れた旧市街にある美術学校に通い始めました。詳細が思い出せないくらい昔の話しです。
絵を勉強しに行ったのに、「絵は習わないで自分で考える」という主義(なぜスペインまで行って?…って笑)だったので、かなり生意気な学生で、作品について先生といつもやりあっていたような気がします。
当時の私はストイックで尖っていたのかもしれませんね。絵の事、生き方の事、いつも何かを探していたのでしょう。
もちろんお金もないので、アパートの屋上の物置のような建物に住んでいました。

そんなある日のことです。
あれは小雨が降る少し寒さを感じる冬の初めの頃だったと記憶してます。
いつものように人通りの多いピケール通りからちょっと入った小径を曲がりました。この小径に入ると、いきなり人がいなくなります。当時は夕暮れになると誰も歩いていない寂しい小径です。雨が次第に強くなり始め、とっぷり日も暮れかかり、肌寒く、急ぎ足でアパートへ帰る途中でした。
少し前方に赤ちゃん黒猫が必死で鳴いていました。
「誰か助けて~」て言ってるみたいに。
「可哀そうに
ずぶ濡れじゃないか。まだ小さな赤ちゃん猫だね。
黒猫だから捨てられたのかな…
でもごめんよ。 猫なんて飼ったことないし、どうしていいのかわからないんだ…」
と心の中でつぶやきながら、目を合わさないように通りすぎました。
しばらく歩くと、後ろからネコの鳴き声がします。
止まって振り返ると、猫がいました。
私が歩き出すとまた「みゃー」と言いながらついてきているようです。
止まって振り返ると、猫も止まって…
「みゃー」
50メートル以上は歩いたかな・・
「ちょうど同じ道だね。偶然だね~」とでも言っているような会話を交わす。

私の古い建物はエレベーターなんかありません。その階段を小さな猫が7階まで上がってきました。
仕方なくドアを開けて
「今日だけだよ」って言うと、まるで自分の家のように入ってきました。

私は、猫を飼ったことがないので、何をどうしたらよいのかわからず、とりあえず冷蔵庫にあるミルクを飲ませてしまいました。
それが悪かったのでしょうね。翌日から下痢をしてしまい、結局外へ出すことができなくなって、家で飼うというか…居ついてしまったのです。
その猫、よくよく見ると、ふさふさしたロン毛の青い目をしたキレイな女の子です。
彼女はじっと私を見つめるのです。
なんて可愛いのだろう…。
「きみは私に一目ぼれしてくれたんだよね? この人なら大丈夫ってね。
猫の勘だね。でもその勘は当たらないよ。
・・私は君を大事にしてあげれる余裕なんてないんだ」

それでも一緒に暮らし始めて、
名前は、ティシアーナとつけました。最初はティシアーノというイタリアの画家が好きなので、そう呼んでいたのですが、途中でメスだと言う事がわかり、aで終わる女性の名前〝ティシアーナ〟になったのです。

ずぶ濡れの痩せっぽちの黒猫の赤ちゃんは、半年もたつと青い目の美女に成長しました。
愛おしい気持ちはあるのだけれど、どうしてあげればよいのかさっぱりわからず、気持ちとは裏腹に面倒見の悪い、気が利かない同居人でした。今なら猫の気持ちすごくわかるのに、当時の私は自分の事の方が精いっぱいだったのですね。

若い私は絵の学校でも人付き合いが下手で、その上、人から教わることが嫌ときてる。結局孤独になるわけです。
絵を描くことも、人と付き合うことも、生きる事も、その意味が分からなく答えが出せずに苦しんだ時期でもありました。
そんな時、家に帰るとティシアーナが迎えてくれました。
グルグル喉を鳴らしながら、「ワタシはあなたが大好きよ」って、毎日そう言ってくれるのです。
ふと気づくと、青い目でじっと私を見つめていて、そばで寄り添ってくれていました。
私はティシアーナに、何もしてあげられません。今なら、猫が喜ぶこと、猫のしぐさからいろんなことが想像できたのに、その時は「あっちへ行って」って冷たくしてしまうこともありました。
そんな生活を1年ばかりしたでしょうか…私が日本に帰る日を迎えます。
ティシアーナを連れていく事はできません。幸いにも、そのまま屋上の建物を次に借りてくれる人が引き継いで飼ってくれることになりました。

日本に戻ってからも、ずっとティシアーナの事は忘れていません。
もっと猫のことがわかっていれば絶対に幸せにしてあげられたのに…もっと、喜ぶことをしてあげられたのに…後悔ばかりが募ります。
私は十分な愛を注ぐことができなかったはずなのに、彼女はあれから20年以上の時が流れた今でさえ、私をずっと守っていてくれている気がするのです。
私が今、猫のイラストを描き続けているのは、あまりにも猫に関する知識が無さ過ぎたために、幸せにしてあげられなかった懺悔があるからだと思うのです。
今の猫への愛おしさは、あの時の幸福感と後悔が絵の中で生き続けているのかもしれません。

なぜ絵を描くのか

絵を描くことの意味が分かり始めたのは、ゴヤという作家に出会った頃です。
ゴヤは晩年、聴力を失い「聾者の家」と名付けた場所で家の壁画に恐ろしい絵を描き始めたのです。「黒い絵」と呼ばれる14枚の恐ろしい絵です。
処刑される場面や子供を食べる絵などが有名ですね。
私はその壁画を必死にトレースしたものです。
ゴヤのこれらの黒い絵は、心の中がそのまま直接絵になっている。あまりの直接的な表現に圧倒されました。
「絵ってなんだ?」という答えは、「心から伝えたいこと」が、ダイレクトに絵になっていれば「そこに嘘がない」と気が付いたのです。
私の絵はゴヤの黒い絵のような暗く悲しい絵とは真逆です。
私が心から伝えたいことは
「絵によって、楽しい、幸せな気持ちになってほしい」。
そういう自分の中の気持ち(心)が、それがそのまま絵になっていれば、そこに嘘がない。それ以外入り込む隙がありませんからね。私はそうありたいと思っています。

当時の私は全く人に迎合しない人間でした。今もそういう所がありますが、当時は全く相容れず自分の世界で生きていたものでした。
もし、そのころの人達に会えることができたら「ごめんなさい」と謝りたいくらいです笑
特にティシアーナには
「ごめんよ ティシアーナ」ってね。
それが遠い記憶で終わらないために、私の脳裏から決して離してはいけないと思っています。

今は、一つ一つ、一匹づつ猫たちの事を思いながら、目の前にいる猫と会話しながら描き続けています。
みんなが幸せな笑顔になるために私は描き続けなければならないと思うのです。
もちろん、自分の中に負の気持ちが芽生えてくる日もあります。そんな日は筆を止めて、楽しい気分の自分にリセットしてから描くようにしてます。
それが後悔から始まっているものであるからこそ、幸せで明るい猫たちを描き続けたいのです。

necottotとの新たな創造作品 マグカップの想い

現在、necottoとマグカップの制作をしています。
この作品のポイントは2つです。
「timeless right」 (不変の正しさ)
「unconventional」(型にはまらない表現)

ドイツに住んでるトルコ出身のWeb系シニアディレクターである友人にフランドルのお花の絵をイメージして描いた絵を見せたら…

「うーん。悪くないけど、彼ら(昔のフランドルの画家たち)は、timeless rightだけど、君のはそうじゃないよね?」
それから、私は考えました。個性だとか、オリジナリティだとか、奢りや見栄や焦り、労力と時間の計算、もうできた、終わった、都合よく自分を騙す、等々、余計なものを全部削って、ただひたすら謙虚に誠実に向き合うことにしました。

そうやって描いていると、今度は、イスラエルの画家兼ミュージシャンの女性が、ダイレクトメッセージで、
あなたの絵は unconventional だと。
この2つのことを合わせて、
謙虚に誠実に向き合って、それでも削っても削りきれない残った結晶のようなものがオリジナリティで、決して自分で誇るものでも特別意識するものでもないのだと。

心がそのまま絵になっている、そんな理想をずっと追っています。

最後に

三浦さんのお話しはいかがでしたか?
取材をさせていただいた場所は猫カフェで
正式な名称は「里親募集型猫カフェ エコネコ」です。
ここの猫たちは現在15匹います。飼い主に放棄され行き場を失った猫たちが再び新しい家族と出会う場所です。

ここにやってきた猫たちの顔を三浦さんはオープンからずっと書き続けています。
こういう活動が三浦さんの世界観の源流になっているのでしょう。
https://necocafe.co.jp/

取材 土屋和子/執筆 土屋和子/写真撮影 吉村巳之

ミウラヒロキ 三浦裕樹

イラストレーター

(有)モップスタジオ代表
https://mopstudio.jp/work

インスタでえほん連載中!
https://www.instagram.com/miura_hiroki_3/
#bopoloehon

土屋和子

「猫と人。繋がる物語」編集長。

元月刊パリッシュ代表&編集長。62歳までは経営者。その後はフリーランスとして現在は事業プロデユース・執筆・プロモーション制作(パンフレット・HP)等を手掛ける。フリーランスの仲間たちを繋ぐサイト「ツキヒヨリ」https://tuki-hiyori.com/を運営。
都心で黒猫シャロンと暮らしている。

吉村巳之

ヘア & メイクアップ、着付け、ウェディング、撮影/ステージ用ヘアメイク、企業/各種コミュニティ向けイメージアップ講座、ホリスティックビューティー講座、たかさき能/狂言を観る会実行委員会、子宮頸がん予防啓発高崎美スタイルマラソン実行委員会など描く分野で活動中

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