猫と人。繋がるものがたり ネコット

経営者 2023.11.05 真珠と猫と田中家の物語

今日も志摩の海は美しい。英虞湾は真珠が生まれる場所として有名です。
海を眺めながら、初夏に核入れした命が真珠と共に生まれ変わる〝時〟を静かに待っている人がいます。

祈る気持ちで海を見ているのは、田中英樹さん。

若い頃、志摩半島はクルージングを楽しむ場所だったのに、まさか自分の仕事場になるとは・・・
この仕事に出会うまでに、田中さんは多くの経験をしていました。それがこの仕事をする後押しになったに違いありません。

田中さんは奥様と9匹の猫たちと名古屋で暮らしながら、〝いのりのしんじゅ〟という事業を展開されています。

〝いのりのしんじゅ〟とは・・・

ペットが真珠になって甦る       

田中さんのお仕事は、ご遺骨を含んだセラミック核を形成し、養殖真珠と同じく核入れして、養生し、沖に出し半年間海に眠らせるのです。そして、半年後に浜揚げする養殖真珠を作っています。水温の関係で12月中に浜揚げしなければなりません。
今回も、命を育んだ真珠が美しく生まれ変わって欲しいと祈ります。

大切なペットが自然に抱かれながら真珠になって甦る

〝いのりのしんじゅ〟はお骨をお預かりして、出来上がった真珠をお届けするだけの商品ではありません。
新たな命の始まりからご依頼主様ご自身で取り出す作業に立ち会い、あるいは共にお骨を核入れする作業をしていただくことで、気持ちのけじめをつけていただくことに意味があると思っています。失った命の悲しみを、海の底の真珠に託して、生まれ変わった真珠と出会う感動を思い出にしていただくというストーリーのある商品です。
真珠の核を抱く貝を母貝と呼びます。核入れとは、貝の身にメスを入れて、核を挿入し真珠層形成の元になる細胞を核に密着させます。
核入れはある意味お骨との受精で、核はお母さんのおなかの中でゆっくりと真珠になっていきます。

毎年12月、真珠貝(アコヤ貝)は浜揚げします。
ご自身で貝から取り出し真珠になって生まれ変わったものと対面していただきます。
世界でたった一つのオンリーワンの真珠です。

真珠になって生まれ変わったペットと出会って、やっと別れを乗り越えることができたという声は多い。
田中さんご自身も、お子様をなくされた時、奥様の悲しみをどう慰めたらよいのかとまどうばかりだったと言います。
その時に思ったそうです。
悲しい時、一緒に泣くだけじゃない。
多くの人が大事な家族(人だったりペットだったり)を失うと、なかなか立ち直れないものです。ずっと悲しみを引きずってしまう。
それは、なにかで、どこかで、その思いを別のカタチに変えなければ乗り越えられないのではないかと思ったのだそうです。

別れの方法として、人それぞれ違うでしょう。別れの方法も今は沢山あります。
遺骨になってもまだあきらめきれない。それでも悲しい思いが残り、いつまでも遺骨を傍に置いておきたいと思う気持ち。
そんな時に、田中さんは養殖真珠と出会ったそうです。

真珠の中に新たな命を育てて生まれ変わらせる。

それが田中さんの〝いのりのしんじゅ〟の原点〟でした。
乗り越えようとする人に手を貸したいと。
どうしたら真珠の中にお骨を入れて新たに蘇らせることができるのか・・・
かなりの時間を要しましたが・・・
〝いのりのしんじゅ〟プロジェクトは2014年からスタートしました。
実際、〝いのりのしんじゅ〟より前から、田中家では猫物語りが始まっていたのです。
それは1匹の猫との出会いからでした。

物語りの主人公は11匹の猫たち。

1999年、ポン太との出会いが人生を変えた
初めて出会った猫・・

1999年9月2日のこと。知多半島の豊浜の魚市場の漁港でした。
猫には全く興味がなく、むしろ噛まれるのが怖くて近づくなんてできない私なのに・・・。
それがあの日は不思議なことが起きてしまった。向こうから小さな猫が今にも倒れそうな感じでヨタヨタと歩いてくるのが目に入りました。そしてその仔と目が合ってしまった。
猫が苦手なはずなのに、ほっておけなくて、思わず抱き上げました。うん、連れて帰ろう。そして車に乗せました。
途中ホームセンターに寄って、猫に必要なものを店員さんに聞きながら揃えて帰りました。

その夜、その子猫がゴロゴロ泣き始めたのです。喜ぶと喉を鳴らすなんてこと知りませんから、病気かもしれないと、翌朝、獣医さんのところに連れて行きました。笑われました。
そのくらい何も知らなかったのです。
名前は〝ポン太〟とつけました。推定3か月だと言われました。
その後、一匹の平穏な生活から 次々と飼主の勝手で家族を増やされても、昔のオヤジのような威厳のあるポス猫ポン太でした。あの日から17年間も家族でいてくれました。2016年6月6日逝去

庭で遊ぶポン太
海が大好きなポン太でした。

妻のことが大好きでどこへでもついてきます。クルージングにも一緒に出かけました。
2番目にやってきたのは、ニャン太(柴ニャン)。
2000年5月19日、推定7か月の仔が庭に迷い込んできました。

ニャーニャ―と鳴く可愛らしさに迷いなく家族の一員に。ニャーニャーー鳴く子だったので〝ニャン太〟。柴犬に似ていることからFBの猫仲間たちからは柴ニャンと呼ばれていました。穏やかで喧嘩を仕掛けることもなく19年間も家族でいてくれました。

先住猫のポン太とも仲良し

3番目の猫は〝みーたん〟
2008年5月17日、突然ベランダに現れ、3日間も動かずこちらを見ているので、完全に根負けです。推定10か月。
凄い甘えん坊のくっつきニャンです。それなのに、お散歩中の犬にも動じない胆っ玉猫で、新入り猫の面倒もみる優しい仔でした。我が家のすべての猫と過ごした〝みーたん〟は今年2023年の1月15日に虹の橋を渡りました。
我が家の猫たちの要の役割を全うしてくれました。

お庭で日向ぼっこしながら周りの猫たちの様子を見てるみーたん(右の猫)

4番目と5番目の猫〝moco〟”とmio〟 
2011年8月のことでした。志摩のマリーナの駐車場で3匹の子猫に足下を包囲されました笑

足に絡みつく3匹(推定2か月)。ここまでされては連れて帰るしかありません。
ホームセンターでゲージを買い、名古屋まで帰ってきました.
Mocoとmioは我が家で飼うことになり、白黒は知り合いの家へ。でもmioは3歳までしか生きられませんでした。

mioはmocoの顔ばかり舐めるので、mocoの髭がのびませんでした笑
mocoはおっとりした性格で、お洋服も嫌がらずにきたので、我が家のモデル猫として活躍してくれました。

カメラ目線のmoco

2022年7月29日逝去。浜辺で足下に絡みついてきてから、11年も一緒に頑張ってくれました。

6番目の猫は三毛猫〝ユキ〟

2013年8月10日、突然庭に現れました。推測1歳未満。驚いたことに、しばらく姿を消したのですが、ある日、子猫を1匹連れて帰ってきました。子猫は知人の家へ。ユキはそのまま我が家にいることになりました。おっとりした性格の三毛でした。2015年1月28日逝去。わずか2歳の命でした。

7番目の猫〝ナンジャ
ナンジャ 2016年3月17日(推定1歳) 〜譲渡会から里親になり 我家では初の長毛の黒ライオン! おとなしい性格で、一度もシャーッと言わない穏やかな性格。でもなかなか人慣れしなくて、ソファー・ベッドの下で過ごす事が多黒かったので「黒忍者」と呼んでいました。

1か月後の4月25日に初検診に行きました。検診結果は 猫伝染性腹膜炎(FIP)のドライ。余命3週間〜一ヶ月を告げられました。ネットで調べると 2年以上も生き抜いている猫もいるとか。まだ体力もありそうなので、病院の治療にサプリを取入れたりして、何とか1年位は生かしてやりたいと思いましたが、努力もむなしく望みは叶いませんでした。2016年5月16日(逝去) 

8番目の猫〝パール〟2016年12月に真珠養殖作業場で生まれたパール。そして翌年6月に田中さんちに来た時は6か月。

おっとりした性格でマイペース。我が家に慣れてもらうためにゲージに入ってもらうのですが、通常1週間位なのに、この仔は驚異の一晩だけのゲージ滞在。すぐに前からいたような空気に包まれていました。当時 六ヶ月の子猫としては驚異の順応性です。2022.8.17(逝去)

9番目の猫〝リリィ〟は、6歳のメインクイーン。
里親募集からを迎え入れました。残念なことに2年で逝ってしまいました。繁殖のために酷使され、愛情を受けた様子もなく、身体は弱っていたのでしょう。なかなか甘えない仔でしたが、最後は抱かしてくれました。短い命でとてもとても残念でした。

来た当時はとても細くてやつれ切った様子でした
最後の頃は、こんなに優しい表情をするようになってくれました

10番目の猫〝ナンチャ〟は ナンジャがFPのため短命だったので、似た黒猫を迎えたけれど2年でなくなりました。

11番目の猫〝チェロ〟は真珠養殖屋さんから迎え入れました。
チャーリーの兄弟で半年の命でした。

私はこうして最初の猫〝ポン太〟と出会って11匹の猫を見送ってきました。どの仔とも思い出があって可愛い猫たちです。出会いがあって別れがある。悲しみもあるけれど、猫を飼うというのはそういう猫の最後を看取るという責任と悲しみも含めて飼うと言う事ではないかと思うのです。

だから、私たち夫婦は、悲しみよりも飼主の最後の役目として、無事送り出せた事の喜びが一番大切だと考えています。

今はコユキ・コウメ姉妹(里親)・レオン(真珠養殖業者さんより引取) ・美雨(真珠養殖業者さんより) ・チャーリー(真珠養殖業者さんより引取) ・りん(盲目の子猫を寺院より引取)・マフィン(ラガマフィン)・マロン サクラ兄弟(ミヌエット)の9ニャンと、仲良く暮らしています。

この仔たちが生まれて来て良かったと思える愛情を注いでいでいきたいと思います。

それは1か月しか生きられなかった子猫も同じで、一日一日がその仔が生きている大切な時間だと思うからです。

ここでは伝えきれなった猫達のイキイキとした写真は日常の写真はFBでご覧ください。

https://www.facebook.com/Hon.TANAKA

インタビューイー:田中英樹/取材・執筆:土屋和子

田中英樹プロフィール

有限会社 アッシュオン 代表取締役/いのりのしんじゅ・志摩海葬・TUNAGU “いのりのしんじゅ”の問い合わせは info@inorinoshinju.com

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