猫と人。繋がるものがたり ネコット

主婦 2023.11.18 コテツとプフとさちさんの物語り

茅ヶ崎駅を降りると、どこからともなくサザンの歌が聞こえてくるような気がします。
やっぱり茅ヶ崎は何かドラマが生まれそうな町ですね。
これからお会いする人は〝さちさん〟。
その日はさちさんと猫ちゃんたちのお話しを聞きに茅ヶ崎までやって来ました。
以前この物語にも登場していただいた和田さん(世界のカフェをめぐる男)からのご紹介で、
「猫愛に溢れた人が海のそばに住んでいる。ぜひ紹介したい」と。
私たちはきっと素敵なお話しが聞けるに違いないとトキメキながらさちさんに「猫ちゃんたちのお話しを聞かせてください」とラブコールしました。

そして、その日がいよいよ実現したってわけです。

当日はいきなり冬になったような寒い日で、薄手のコートで来てしまったことを後悔しながら、さちさんのご自宅に向かいました。
今回は「猫と人。繋がるものがたり」を運営する会社代表の小百合さんも一緒です。
さちさんのマンションは茅ヶ崎駅から商店街を歩いてすぐの場所にありました。

マンションのエレベーターから下りるなり視界に飛び込んできたのは・・・

「すご~い、茅ケ崎の町が全部見えるじゃない」といきなりテンションが上がる私たちでした。そこは茅ヶ崎の町の雲の上にいるような感じです。

そして、更にご自宅の玄関を開けてリビングに通されると、そこは茅ヶ崎の空と海と町が見えるではありませんか。歌に出てくるサザンの歌に出てくる烏帽子岩もすぐそこに見える最高の眺望です。

ソファで寝ていた猫ちゃんが「みゃ~ン」と出迎えてくれました。声をかけてくれたのはハリーちゃん(13歳の女の子)。

「ハリーちゃん、こんにちは。いつもこんな素敵な景色の中にいるのね」というと、

「みゃ~ん、そうよ、眺めがいいでしょう? それとね、プフっていう仔も一緒に暮らしているのよ」と、教えてくれました。

でもプフちゃんは出てきてくれません。

「プフちゃ~ん、お客様よ」と、今度はさちさんがプフちゃんを探してくれました。

プフちゃんは今一つ、歓迎ムードではなさそう。

いきなりどやどや押しかけて来たのだもの、ごめんなさいね。

ご機嫌な時はこんな仲良しなシーンも見せてくれるんですって。

さちさんとは、以前からの知り合いのような気がします。とても気さくに猫たちとのことを話してくださいました。

子供のさちさんのお供は犬と猫たち!?

私は生れたときからずっと猫と一緒に暮らしてきて、猫が家にいなかったことがなかったと思います。
気が付くと当たり前のように私の横には猫と犬がいたの。

この写真は以前家にいたケンとコテツ
 

両親が忙しかったから、犬と猫に育ててもらったようなものなんです。
子供の頃、夕方になると遊んでいる私を犬のじろうが迎えに来てくれるの。そしてその途中には猫のヤンボとアリスとポパイが待っててくれてね、私と犬と猫の5人で家に帰るのが日常の事だったような気がします。

そんな子供時代を過ごしていたから、結婚相手も絶対猫好きな人がいいな~って密かに心にきめていたら、ちゃんと猫好きな人と引き合わせてもらいました。笑

結婚して20数年たちますが、変わらず主人と猫たちと暮らす日が続いています。
今、私はとても満たされた生活をしています。

もちろん人並みに悲しいことだって、辛いことだってあったかもしれないけど・・・忘れてますね笑。なんでこんなに穏やかに暮らせるのだろうと考えてみたら、いつも猫がそばにいる。
そして、猫がいつも私を守ってくれてきたような気がするのです。

プフはコテツの生まれ変わり?

もし、生まれ変りと言う事があるならば、コテツはそうかもしれない。今はもういないけど・・・

コテツは野良のボス猫のように頼もしい仔で、私を護りそして寄り添うために来てくれたのではないかと思うくらいでした。

ベランダで洗濯物を干していると、心配そうに必ずこちらを見ているんです。
一度べランダに出て、怖い思いをした記憶があるため、私がベランダに出ると、すぐに飛んできて「危ないよ」って言うのです。

お風呂に入る時も必ず見ています。
一度お風呂に落ちたことがあったので、やっぱり私を心配してついてきます。

そんなコテツですが、最初の1年はなかなか心を許してくれず、甘えてくれないのです。
最初は母が可愛がっていた猫だったのを事情があって、途中から私が面倒を見たという経緯もあってなのか、なかなか甘えてくれません。
でも私は、毎日コテツに声をかけ、隙を見ては身体に触れて「私はあなた(コテツ)を見てるよ」と伝え続けていました。

そんなある日のこと「コテツおいで」って呼ぶと、走ってきて私の膝に乗って「なでなでしていいよ」って言うのですよ。
初めて、コテツが私を認めてくれた日でした。
「さっちゃんが僕のことを好きなら、それを受け止めてあげるよ」とでも言っているように。
それからは私がコテツにしてたように、今度はコテツが私をいつもじ~と見てます。

そんな優しく強いコテツでさえ、命の限界がありました。どんなに繋がっていても、猫は必ず自分より先に死んでしまうものです。わかってはいたけれど・・・
コテツにもそんな時がやってきてしまいました。

心臓病でした。何とか少しでも生きて欲しいと、酸素吸入を部屋に持ち込み、看病の日々が続きました。
「後2か月」と言われた命は、その後約1年近く私のそばでコテツは生きる姿を見せてくれました。
私の腕の中で事切れたコテツの感触が忘れることができず、毎日泣いて暮らしていました。

心がぽっきり折れました。

動物と暮らし、その命を預かるという使命を全うしたのだから、それを感謝しなければならないと、何度も自分に言い聞かせていました。

残されたのは私だけではなくて、小さなハリーも同じでした。
そうだわ、この仔のためにも生きなくてはと、一生懸命自分を励ましていたように思います。
そんな時、プフと出会いました。
友達の知人が拾った猫で、保健所に連れて行かれて殺処分される直前の出会いでした。生後2か月位だったかしら。
この仔を死なせるわけにはいかない。
そう思って引き取る決心をして家に連れて帰ってきました。
プフはコテツとは、全く違う性格で、弱虫で甘ったれ上手な仔です。

全く違うはずなのに、ある日気が付いたことがありました。
口腔内の上の部分に小さな黒いあざが同じところにあったこと。
そしてプフといるとコテツがいるような気がすること。きっとココロがコテツと同じなんだわって。
コテツは十分に私にできなかったことをプフに生まれかわって、私にたくさん甘えるために来てくれたのではないかってね。そんな気がしてなりません。
甘えてくるプフを見て、ひょっとしてコテツの生まれ変わり?
そう思うと可愛くて仕方がありません。

猫には猫の幸せがある。

ある日お寺の境内にいた小さな猫の話しです。その小さな猫は周りの猫たちの仲間には入れてもらえず、いつも一人で御朱印売り場の横にいました。
私はその猫が可哀そうで仕方なく、家に帰って主人に相談して迎え入れる準備を始めました。

ところが、いざ迎えに行ったらそこには猫がいないのです。

私はふとの時考えました。

ひょっとしたら、このネコちゃんはココが好きなのかもと。

お寺の石段で日向ぼっこしたり、時には境内を歩き回り、餌をもらう時だけ御朱印売り場にやってくる。猫なりに心地よく暮らしているのではないかと。人間が勝手にお外だから不幸とか寂しいだろうとか思うのは、違うかもしれない。
こうならなくちゃ幸せじゃないと決めつけるは間違っているのではないかなと。

ネコには猫の幸せがある。

猫には猫の生き方がある。もちろん悲惨なことが直面している猫なら救わなくてはいけないけれど、人間の都合で考えてはいけないと悟った出来事でした。
猫はどういう環境であっても、置かれている今を生きている。
その後気にかけて見ていますが、ひょうひょうと暮らしている姿を見かけホッとしています。

私の夢は、猫や動物たちに恩返しすること

人間の幸せも同じことかもしれませんね。
こうならなければ不幸だとか、これがなければ悲しいとか・・・
猫はそんなことなど考えずどんな状況であっても、今という時を受け入れ、心を許す人の傍で生きている。

私は猫にたくさん教えてもらいました。
猫は命の時間を考えたりしない。
今、生きていることだけ
それだけを受け入れている。

一緒にいるだけでこのピュアな心に浄化されます。
猫が運んでくるチカラは特別なものがあって、そこにいてくれるだけで温かい気持ちになる。
猫が私に向ける無欲の愛とエネルギーが、私を満たしてくれる。

手放すことも、何が大事な事なのかも、猫が教えてくれた気がしてます。
今、ハリーとプフが私と夫の傍にいて、穏やかな光で包み込んでくれています。

私は生れてからずっと猫たちにたくさんの愛をもらって暮らしてきたおかげで、今はとても満たされ幸せでだから、これからは猫や動物たちに恩返しするのが私の夢です。

お話しの後に・・・

お話を聞いているうちに、とても優しい気持ちになりました。
改めて猫ってすごいなって
こんな人間に近い場所で幸せな気持ちにしてくれる動物は猫しかいないのではないかと。
私は家でお留守番している黒猫シャロンに会いたくなりました。
多分、一緒に行った小百合さんもソルちゃんとメグちゃんに会いたくなったはず。

茅ヶ崎の海に陽が沈み始めました。

オレンジ色の夕日が海に沈んでいきます。

さちさん、一番癒されたのは私たちだったかもしれません。

美味しい紅茶とロールケーキごちそうさまでした。

取材・執筆:土屋和子

記事の一覧へ